書いたブログをじぶんで読み返したときに「ふ~ん、で?」ってなるような記事を書かないようにしたい
こんにちは!
気づいたら当ブログも現時点での記事数がこの記事を入れて160記事になりました。
思い返せば色々な記事を書いてきました。ブログの方向性について試行錯誤の連続でしたからね。
たまたま1つアクセスの伸びるキーワードがあったのでそれに引っ張られるようにアクセス数が増えていきましたが、それがなかったらまだまだ試行錯誤していたと思います。
ってか今も試行錯誤してますけども、一応の方向性ってのはじぶんでは見つけています。迷走してて更新停止待ったなしな状況ではないですもん。
んで、自分の過去の記事の見直しをするってのを以前から何度か書いていますが、
これに伴い過去の記事を読んでいると、じぶんでも「ふ~ん、で?」ってなるような記事が散見されます。じぶんで書いたものを読んでそう思うんだから、他人が読んだらますます「???」ってなるはずです。
だからそんな記事を書かない&書いてあったら見直していくでってことですわ。
自分で読み返したときに意味が分かる文章を書く
というのもおそらくちゃんとオチを作っていないで書いてある記事が「ふ~ん、で?」状態になっているんですよね。
とりあえずネタだけ思いついて書きながらオチを作っていくときに陥りがちな罠です。
ってかこの記事もそうです。
だからそうならならないようにしていくことがこれからのアクセス数と読者獲得数ひいてはぼくのサイフの厚さに直結するわけですよ( ̄ー ̄)
ちゃんとどうオチをつけるか考えようと思う
地方の新聞の4コマまんがでオチが全くないってのはよくありますが、あれは多分才能を別にしたらとりあえず1コマ目だけ考えて4コマ目をどうするか考えていないんだと思うんですよね。
コボちゃんなんかの安定感を考えるとやっぱりそこは才能なのかな?って気がしないでもないですが、結局のところ4コマ目をちゃんと思いつける才能ですかね。
でもぼくはそんな社会風刺をしたいわけでもなく読んでいる人をクスッとさせたいわけではありませんから、ネタとオチを合わせて考えることは可能なんじゃないかなと思うんです。
『まとめ』を書いているときが1番苦痛
ぼくは最後の見出しを大体『まとめ』にするんですけど、ここを書くのが1番苦痛なんですよね。『まとめ』はその記事のオチに当たる部分ですけど、やっぱオチを考えてこなかったからです。
見切り発車しちゃうクセは直さないといけません。
データと一緒にぼくなりの提案を盛り込む
データだけを書いて、「調べたで!どや?!」ってなると「ふ~ん、で?」状態になりがちです。別に調べる方法はいくらでもあるし、そのデータを書いてどうしたいの?って思われると結局全てが無駄になるんじゃないでしょうか?
データを基にしたぼくの見解をブログ記事として発信していくことで、調べたデータに意味が出てきますしそれが読んだ人の利益になる。とすると巡り巡ってぼくの利益になるんですよね( ̄ー ̄)
…最近お金お金言ってばかりですんません。ほんとにゲスい男なんです。
大前提として書いている内容を自分で理解する
読書感想文であらすじだけ書いてあるとか、新聞の科学系の記事で新発見の物質についてとりあえずダラダラと説明だけ書かれてても頭に入ってこないですよね?
読書感想文であらすじだけ書いてあるってのはもう態度の問題でもあるからちょっと違うかもしれませんけど根底にあるのは『理解不足』だと思うんですよ。
自分で何を書いているのかさっぱりわかっていないから本のあらすじ、もしくは発表された資料を丸写しして終わっているんですよね。読み手側としてはそこに書いた人の見解なりわかりやすく噛み砕いたものがないと理解ができない。
それとブログも一緒で、自分で書いたことはちゃんと理解するってことが大事なんじゃないでしょうか?んで、調べて書いたはいいけど意味がわからないことはわからんと書けばよろし。
まとめ
まだまだ自分でもこうやっていきたいってのがあるし思いついたこと結構あるんですよ。でももう書くの疲れたからここで止めます。
ブログって難しいけどこうやって考えの整理になるからほんといいですね。
…ああ、やっぱり『まとめ』は苦手だ(笑)
ではでは